カウンセラーズトレーニングの会 ☆10月
2014/10/29 00:29:00
今日は月に1度のトレーニングday。
恒例のシェアから始まった。
私の10月は、ハードだった(゜д゜)
働き過ぎでくたびれ果ててるってのもあるけど、心の面では長かった反抗期が終わったという結末を迎えた。
これに関しては、後々じっくり書き記すけど、とにかく世界が反転した!!
私、ずっと自分は不幸な子供時代を過ごした被害者だった。
お母さんはいつも怒ってるし、叩かれるし、怒鳴られるし。
いつスイッチが入るかわからないから常に顔色伺って、ビクビクしてた。
そんなのやりたくない!!って言えば叩かれるから、従うしかなかった。
お父さんとは怒鳴りあい、何度離婚劇を繰り広げたかわからない。
その都度、私は父方のばぁちゃんと住んだり、母方のおばぁちゃんと住んだりした。
選択の余地が無かった。
そして、辛すぎて苦しすぎて孤独で...
その代償として、心を麻痺させて何も感じないようにロボットになった。
心理学を学び始めてから、いやでも自分の生い立ちを紐解かなきゃいけない...
光をあてて、どんな事実があって、どう感じてたのか?という、ロボットから人間に戻る作業をしてきた。
とにかく怒りがあった。悲しみも多かった。寂しさややりきれない切なさも見えた。罪悪感や無価値感、後悔や懺悔の気持ちがある事もわかった。
母を父を憎んだ。
何で私だけこんなに我慢しなきゃいけないんだ!!
どうしてもっと愛してくれなかったの!!
なんで叩いたの!!
なんで私だけ置いていかれたの?
もっとこう育てて欲しかった!
そうすれば今こんなに苦しまなくても良かったのに!
全部、お母さんが私をこう育てたからだ!
もうお姉ちゃんやめる!
恨んでる!憎んでる!
何で...何で...何で...!!!
全て親のせいにした。
もう、親の言いなりになりたくない!
私は私を生きるんだ!
そう決意して取り組んだ学びだったけど、がんじがらめの価値観を取り外すことに苦戦した。
何度も何度も繰り返し現れるパターンと向き合う度に、お母さんのせいだ!!
って怒ってた。
未だに罵り合う両親の姿をみてはショックを受け、私、こんなに変わったのに、何でお母さんは変わらないの?ってまた怒ってた。
わかってるんだよ。
過去には戻れないって。
親を憎んだり恨んだりしても過去は変えられないって。
もう、自分で自分を育てるしかないって。
だけど、その作業が誰にも称賛されない上に地味だからさ、そして苦しかったのよ。
その度に、本当にその度に、あんな風に育てたからだ!!って被害者に逆戻り。
直接、母に訴えたことがある。
めっちゃゲシュタルト。
だけど、親のありがたさへの理解はうわべだけ。
分かったようでいても、附に落ちてなかった。
そんな経緯のなか、突然来たのよ。
私ってホントに不幸な子なの?
不幸だって事にしてたけど、ホントは幸せな子なんじゃないの?
ってな意識の転換が。
いや、突然じゃないな。
トラウマエッセンス飲んだり、レインドロップ受けたり、オーラソーマ続けたり、教育分析やトレーニングの会を欠かさなかったり、自分の声を聴いたりと、自分育てに勤しんだ賜物だ。
確かに、悲しい思いや寂しい思いをした。怖かったり辛かったり、どうにもならない無力感を感じたりもした。
だけどね、愛されてなかった訳じゃないし、いらない子だった訳でもない。
というより、目一杯愛されてた。両親だけじゃなく、祖母や親戚の面々にも。
香、香ちゃんって。
いつの日も愛されてた。
私が生きていくというエネルギーには不幸であるという脚本が必要だった。
愛されなかった、いらない子だった、こんなことされた、あんなことされたっていう復讐のための理由が必要だった。
恨み、憎しみがエネルギー源だったのだと思う。
自分を愛するという作業をしながらも、やっぱり復讐に燃えてたのだ。
たけど、それじゃあ満たされないよね。
ずっと孤独のまま。
不幸だという脚本からは抜け出せない。
いくら自分を愛してもね。
んで、思ったのだ。
ホントに不幸だったの?
って。
そしたら、私の答えは
『不幸だと思いたかったけど、実は幸せだった』
というものだった。
両親がいて、食べるものに困らず学校に行かせてくれて、37歳になってもまだ反抗期やってる私を許し、受け入れてくれてる。
確かに、機能不全な家庭だった。
そのおかげで、いろんな感情を味わった。
砂を噛むような思いもした。
だけど、親も必死に生きてただけで、そんな中でも愛し、許して、生活の基盤を与えてくれた。
不幸じゃない。
ホントは幸せだったんだ!
恵まれてたんだ!
って、ポロポロポロポロ涙が溢れた。
そりゃあ悲しい思いや寂しい思いや辛い思いしたよ。
だけど、どうやっても避けられな災害のようなものだったんだ。
やっとかおるさんが言ってた言葉の意味がわかった瞬間だった。
闇だと思ってた過去が、実は光だったの。
そのおかげで今の私が生かされてる。
幸せな人生だった。
両親だけでなく、色んな大人に愛されて可愛がられ、そして許されてた。
こうやって書くとあっけないけど、実に様々な葛藤があり、沢山の感情を味わい尽くした。
次のステージへ行くためには、私にとって必要なプロセスだった。
そして、このプロセスを経て私は本当の意味での私の人生を生きる事を始める。
エピローグがプロローグだ。
とまぁ、かなり長くなったけど、こんなシェアをした。
で、今日は忘れがちな感情の図式を思いだし、特に、自分はダメだ!と自責するフィルターにアクセスするワークをした。
人は自分に条件を付けたがる。
こんなことしちゃう自分。
あんなことしちゃう自分。
そういうのってダメな人!!
刷り込まれた価値観から、自分をダメって責めて否定する感情が出現する。
今日のワークは、条件をつけては、なんてダメな子って痛め付けてる私やあなたに、『だけど、私はそんなあなたが大好きです!』と無条件の愛のストロークを送るというのが最大のテーマだった。
自分をダメってするの大得意!(笑)な私だけど、人様から、『ふーん、そんなあなたってダメな人ね』というストロークが来ると、どういうわけか、ムカッ腹が立ち悔しくて、舌打ちしたくなった(笑)
だけど、私が自分にやってることなんだよね。
そりゃあ、生きる気力もなくなれば、クサクサしたささくれの心になって余裕がなくなるよね。
我慢できなくて、すぐ飽きて仕事を辞めちゃう自分はダメだ。
楽な方楽な方ににげちゃうからダメだ。
きつい言い方しちゃうからダメだ。
すぐにケンカしちゃうからダメだ。
お金つかっちゃうからダメだ。
面倒臭がりで動くのに時間がかかるからダメだ。
私はこの6つの自責をあげた。
パートナーはかおるさん。
ダメってするためには、そこにイラショナルビリーフがあるからなんだけど、流石師匠!!
見事なラショナルビリーフにして私に愛をくれた。
あぁ、成る程なぁ。そうだよな。うんうん。そうだよね。
そして、『だけどね、そんな香ちゃん大好き!』って何度も何度も伝えてくれた。
ありがとうございます。ってあったかい涙が頬を伝った。
条件だらけの世の中だから、自分にも他人にも条件つけてしまうし、それに慣れちゃってる。
だけど、ホントは生きててくれるだけでいいんだよね。
そのまんま、そこに居るだけで価値があるんだよね。
あれやこれや思い悩み、出来てない!まだやれてない!って否定したくなるかもしれないけどそんな私ですら私のほんの一部なんだよ。
それが私の全てじゃない。
私、ワーカーホリックなのは、働いてない私には価値がない。人の役に立たない私には価値がない。っていう認知の歪みがあるからだと思う。
何かをしていない私は価値がない。と思い込んでるのよね。
でも、そうじゃない。
私は、何も成さなくても、何もしなくても、人の役に立たなくても、働かなくても笑わなくても、怒ってても、ただ此処に居るだけで価値がある。
誰にも変えられない唯一無二の存在なのよ。
ただ、生きてて欲しいの。
大好きよ。だーいすきなの!!
ダメってするのは、条件つけちゃうから。比べようとしちゃうから。
ダラダラ、グダグダ、ゴロゴロしてても大好きよ。
ただ、生きててくれるだけでありがとう。
いつも此処にいてくれてありがとう。
私という存在に、あなたという存在にありがとう。
大好きよ。ホントに好き。
好きで好きでたまらない。
大好きだー!!
これ、常に他人からは貰えないのね。
だから、また思い出して自分で自分に伝えてくの。
その繰り返し。
それが自分の救済につながるから。
条件をつけない。
ジャッジしない。
そのまんまで素敵。
そのまんまの私が大好き。
無条件で自分を愛する訓練をまた続けていこう!
そう感じたワークだった。
以上、今日のトレーニングの会から私、石山 香がレポートしました!
恒例のシェアから始まった。
私の10月は、ハードだった(゜д゜)
働き過ぎでくたびれ果ててるってのもあるけど、心の面では長かった反抗期が終わったという結末を迎えた。
これに関しては、後々じっくり書き記すけど、とにかく世界が反転した!!
私、ずっと自分は不幸な子供時代を過ごした被害者だった。
お母さんはいつも怒ってるし、叩かれるし、怒鳴られるし。
いつスイッチが入るかわからないから常に顔色伺って、ビクビクしてた。
そんなのやりたくない!!って言えば叩かれるから、従うしかなかった。
お父さんとは怒鳴りあい、何度離婚劇を繰り広げたかわからない。
その都度、私は父方のばぁちゃんと住んだり、母方のおばぁちゃんと住んだりした。
選択の余地が無かった。
そして、辛すぎて苦しすぎて孤独で...
その代償として、心を麻痺させて何も感じないようにロボットになった。
心理学を学び始めてから、いやでも自分の生い立ちを紐解かなきゃいけない...
光をあてて、どんな事実があって、どう感じてたのか?という、ロボットから人間に戻る作業をしてきた。
とにかく怒りがあった。悲しみも多かった。寂しさややりきれない切なさも見えた。罪悪感や無価値感、後悔や懺悔の気持ちがある事もわかった。
母を父を憎んだ。
何で私だけこんなに我慢しなきゃいけないんだ!!
どうしてもっと愛してくれなかったの!!
なんで叩いたの!!
なんで私だけ置いていかれたの?
もっとこう育てて欲しかった!
そうすれば今こんなに苦しまなくても良かったのに!
全部、お母さんが私をこう育てたからだ!
もうお姉ちゃんやめる!
恨んでる!憎んでる!
何で...何で...何で...!!!
全て親のせいにした。
もう、親の言いなりになりたくない!
私は私を生きるんだ!
そう決意して取り組んだ学びだったけど、がんじがらめの価値観を取り外すことに苦戦した。
何度も何度も繰り返し現れるパターンと向き合う度に、お母さんのせいだ!!
って怒ってた。
未だに罵り合う両親の姿をみてはショックを受け、私、こんなに変わったのに、何でお母さんは変わらないの?ってまた怒ってた。
わかってるんだよ。
過去には戻れないって。
親を憎んだり恨んだりしても過去は変えられないって。
もう、自分で自分を育てるしかないって。
だけど、その作業が誰にも称賛されない上に地味だからさ、そして苦しかったのよ。
その度に、本当にその度に、あんな風に育てたからだ!!って被害者に逆戻り。
直接、母に訴えたことがある。
めっちゃゲシュタルト。
だけど、親のありがたさへの理解はうわべだけ。
分かったようでいても、附に落ちてなかった。
そんな経緯のなか、突然来たのよ。
私ってホントに不幸な子なの?
不幸だって事にしてたけど、ホントは幸せな子なんじゃないの?
ってな意識の転換が。
いや、突然じゃないな。
トラウマエッセンス飲んだり、レインドロップ受けたり、オーラソーマ続けたり、教育分析やトレーニングの会を欠かさなかったり、自分の声を聴いたりと、自分育てに勤しんだ賜物だ。
確かに、悲しい思いや寂しい思いをした。怖かったり辛かったり、どうにもならない無力感を感じたりもした。
だけどね、愛されてなかった訳じゃないし、いらない子だった訳でもない。
というより、目一杯愛されてた。両親だけじゃなく、祖母や親戚の面々にも。
香、香ちゃんって。
いつの日も愛されてた。
私が生きていくというエネルギーには不幸であるという脚本が必要だった。
愛されなかった、いらない子だった、こんなことされた、あんなことされたっていう復讐のための理由が必要だった。
恨み、憎しみがエネルギー源だったのだと思う。
自分を愛するという作業をしながらも、やっぱり復讐に燃えてたのだ。
たけど、それじゃあ満たされないよね。
ずっと孤独のまま。
不幸だという脚本からは抜け出せない。
いくら自分を愛してもね。
んで、思ったのだ。
ホントに不幸だったの?
って。
そしたら、私の答えは
『不幸だと思いたかったけど、実は幸せだった』
というものだった。
両親がいて、食べるものに困らず学校に行かせてくれて、37歳になってもまだ反抗期やってる私を許し、受け入れてくれてる。
確かに、機能不全な家庭だった。
そのおかげで、いろんな感情を味わった。
砂を噛むような思いもした。
だけど、親も必死に生きてただけで、そんな中でも愛し、許して、生活の基盤を与えてくれた。
不幸じゃない。
ホントは幸せだったんだ!
恵まれてたんだ!
って、ポロポロポロポロ涙が溢れた。
そりゃあ悲しい思いや寂しい思いや辛い思いしたよ。
だけど、どうやっても避けられな災害のようなものだったんだ。
やっとかおるさんが言ってた言葉の意味がわかった瞬間だった。
闇だと思ってた過去が、実は光だったの。
そのおかげで今の私が生かされてる。
幸せな人生だった。
両親だけでなく、色んな大人に愛されて可愛がられ、そして許されてた。
こうやって書くとあっけないけど、実に様々な葛藤があり、沢山の感情を味わい尽くした。
次のステージへ行くためには、私にとって必要なプロセスだった。
そして、このプロセスを経て私は本当の意味での私の人生を生きる事を始める。
エピローグがプロローグだ。
とまぁ、かなり長くなったけど、こんなシェアをした。
で、今日は忘れがちな感情の図式を思いだし、特に、自分はダメだ!と自責するフィルターにアクセスするワークをした。
人は自分に条件を付けたがる。
こんなことしちゃう自分。
あんなことしちゃう自分。
そういうのってダメな人!!
刷り込まれた価値観から、自分をダメって責めて否定する感情が出現する。
今日のワークは、条件をつけては、なんてダメな子って痛め付けてる私やあなたに、『だけど、私はそんなあなたが大好きです!』と無条件の愛のストロークを送るというのが最大のテーマだった。
自分をダメってするの大得意!(笑)な私だけど、人様から、『ふーん、そんなあなたってダメな人ね』というストロークが来ると、どういうわけか、ムカッ腹が立ち悔しくて、舌打ちしたくなった(笑)
だけど、私が自分にやってることなんだよね。
そりゃあ、生きる気力もなくなれば、クサクサしたささくれの心になって余裕がなくなるよね。
我慢できなくて、すぐ飽きて仕事を辞めちゃう自分はダメだ。
楽な方楽な方ににげちゃうからダメだ。
きつい言い方しちゃうからダメだ。
すぐにケンカしちゃうからダメだ。
お金つかっちゃうからダメだ。
面倒臭がりで動くのに時間がかかるからダメだ。
私はこの6つの自責をあげた。
パートナーはかおるさん。
ダメってするためには、そこにイラショナルビリーフがあるからなんだけど、流石師匠!!
見事なラショナルビリーフにして私に愛をくれた。
あぁ、成る程なぁ。そうだよな。うんうん。そうだよね。
そして、『だけどね、そんな香ちゃん大好き!』って何度も何度も伝えてくれた。
ありがとうございます。ってあったかい涙が頬を伝った。
条件だらけの世の中だから、自分にも他人にも条件つけてしまうし、それに慣れちゃってる。
だけど、ホントは生きててくれるだけでいいんだよね。
そのまんま、そこに居るだけで価値があるんだよね。
あれやこれや思い悩み、出来てない!まだやれてない!って否定したくなるかもしれないけどそんな私ですら私のほんの一部なんだよ。
それが私の全てじゃない。
私、ワーカーホリックなのは、働いてない私には価値がない。人の役に立たない私には価値がない。っていう認知の歪みがあるからだと思う。
何かをしていない私は価値がない。と思い込んでるのよね。
でも、そうじゃない。
私は、何も成さなくても、何もしなくても、人の役に立たなくても、働かなくても笑わなくても、怒ってても、ただ此処に居るだけで価値がある。
誰にも変えられない唯一無二の存在なのよ。
ただ、生きてて欲しいの。
大好きよ。だーいすきなの!!
ダメってするのは、条件つけちゃうから。比べようとしちゃうから。
ダラダラ、グダグダ、ゴロゴロしてても大好きよ。
ただ、生きててくれるだけでありがとう。
いつも此処にいてくれてありがとう。
私という存在に、あなたという存在にありがとう。
大好きよ。ホントに好き。
好きで好きでたまらない。
大好きだー!!
これ、常に他人からは貰えないのね。
だから、また思い出して自分で自分に伝えてくの。
その繰り返し。
それが自分の救済につながるから。
条件をつけない。
ジャッジしない。
そのまんまで素敵。
そのまんまの私が大好き。
無条件で自分を愛する訓練をまた続けていこう!
そう感じたワークだった。
以上、今日のトレーニングの会から私、石山 香がレポートしました!
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