カウンセラーズトレーニングの会☆11月
2014/11/28 22:58:00
あっという間に先月から1ヶ月経過・・・
前回、「私は幸せな子だった!!」と気付いてから一気にどよーん↓となった1ヶ月だった。
揺り戻し。幸せを感じないように無意識作動。。。
11月上旬に実家に帰った。
幸せな子だった!!って気が付いてウキウキ気分だった。
ところがどっこい。
相変わらず両親は罵倒し合い、御多分に洩れず母からは愚痴のオンパレード・・・
はぁぁぁぁ・・・・
何も変わってねェーーーーーorz
グッタリして帰ってきた。
帰ってきて、かずの顔見た時の嬉しさ・安心感ったらなかった。
やっぱり、今の場所が私の家だ。
そんな出だしの11月。
クサクサな気持ちで身体は重く、何しても世界が曇って見えてた。
なんだ?このどんよーりした気分は?
実家での両親の罵倒合戦を目の当たりにし、怯えてるインナーチャイルドが顔出した。
喧嘩嫌だー
仲良くしてよー
ホントは幸せなんだよー
分かってよー
悲しくて悲しくて切なくて辛くて苦しくて…そしてひりひり痛い。
声にならない声を抱えた。
何故、どんよーりした気持ちになるのか考えた。
ええ。いつものようにお風呂で(笑)
確かに、私は幸せな子だ。
幸せで恵まれてたって気が付いたのに、何故その心のあったかさが持続しない?
!!!!!!!!!!!!!
私、自分が幸せを感じる事に罪悪感がある。
私だけが幸せになってはいけないって思ってる。
それだけじゃなく、私が家族を幸せにしなければならないって背負ってる。
いがみ合うのは不幸なことだ、喧嘩してては幸せになれないって思い込んでる。
!!!!!!!!!!!!!
自分の為に始めた自分見つめ・心理学だったけど、その奥の奥に「両親を変えたい」っていう支配欲が潜んでた。
衝撃。。。。。
えっ、純粋に自分の為じゃなかったの?
がーーーーーーん・・・
驚いた。
だから、どーんよりした気持ちになってたのか。
勝手に期待して、変わってないじゃんって落ち込んだのね。
そんな気持ちを教育分析でシェアした。
「なんだかクサクサしちゃってて…」とどよーんとしたまんまで話した。
師匠はまたしても私に対して驚愕のシェアをくれた。
「不安なんだね。」と。
へっ?今なんとおっしいました?
んんんんんん?
「不安?」
そっれって何?おいしいの?
私が「不安」だって?
えぇぇぇぇぇぇぇーーーーー!!!!!!!!
「不安」
たった三文字だけど、私の意識に不安って感覚は無かったものだから衝撃だった。
全然自己一致してなかった。
むしろ、抑圧してた。
師匠に貰ったヒントで、また一休さんの日々。
あー、実家に帰ったあとのどんよーりな気分は不安でもあったんだ。
そうだよな。
機能不全な家庭で育ち、常に不安で怯えてた。
根本的な生存への不安。
自己存在への不安。
お父さんとお母さんまた喧嘩してる。
また別れるって言ったらどうしよう。
お母さんに怒られる。
また叩かれる。
不安を感じたら生きていけないと思ってたから、心に麻酔をかけたんだった…
そうか…
実家へ帰った事で、この不安な私が色濃く出てきたんだな。
不安っていう感情は抑圧してたからわからなくて。
どんよーり曇ってるってなフェルトセンスでの表現だったけど、この感覚が不安の合図なんだ。
って多分、生まれて初めて「不安」という感情を意識し、向かい合った。
不安は抑圧しないと生きてこれなかった。
怖くて怖くて。
自己存在や生存を脅かすものだった。
親に縋りついてないと生きてられなかったから。
捨てられたら困るから。
不安を感じて受け入れたら、心が壊れちゃう。
そう思ってたのだろう。
それが今ここにきて自分自身の「不安」を感じ、自己一致しようとしてるってことは自分で受け止められる時期に来たって事。
やっと安全な場所辿り着いたってこと。
そして、「不安」と向き合う準備が出来たって事。
もう「不安」を認めても心は壊れないんだよ。
それらが出来る私に成長した事を嬉しく思う。
んで、何が不安なんだろう?って見つめる日々。
漠然とした不安を抱えてるとゲームしやすいし、イライラするってなことを発見。
否定されるかもしれない不安。
生きていけなくなるかもしれない不安。
嫌われるかもしれない不安。
悪い事が起きるかもしれない不安。
なじめないかもしれない不安。
失敗するかもしれない不安。
孤独になるかもしれない不安。
理解されないかもしれない不安。
バカにされるかもしれない不安。
愛されないかもしれない不安。
受け入れてもらえないかもしれない不安。
悪事が露呈するかもしれない不安。
そして、不安には恐れが付きまとってる事も発見。
いや、恐れてるから不安になるんだ。
何を?
自分の弱さ。
自分の醜さ。
自分の狡さ。
自分のいやらしさ。
自分の支配欲。
自分の冷酷さ。
自分の怠惰。
自分の傲慢さ。
自分の勝手さ。
自分の嫉妬深さ。
自分の執念。
自分は大したことない人間だって事。
これらが露呈するのではないか?という恐れを抱えてる。
ははぁ。
全て抑圧してるなぁ。
恐れや不安の感情ってネガティブなもの。
ネガティブなものって波動が重い。
だから、恐れや不安が浮上してきてるときって身体が重いんだ。
んで、どんよーりって表現になったのね。
心と身体は繋がってるから、自分の感覚で身体が重い時は恐れが強かったり、不安で震えてたりするサインなんだ。
そうやって、身体が教えてくれてるんだ。
そういう時は休もう。
そして、感じよう。
何に恐れていて、何が不安なのか?ってな事自己一致できるように向き合おう。
焦らず、ゆっくり手放して行こう。
不安に思う事は、全て「かもしれない」っていう私の思い込みだから。
そういう思い込みをしなければならなかった傷ついた過去があるから、一つずつ癒していこう。
11月は、自分の恐れ・不安と向き合うきっかけをくれた1ヶ月だった。
そして、ふと思った。
私が両親を変えたいって思ってたけど、もしかしたら、両親が私が自分の恐れや不安を手放し軽くなれるように魂レベルで応援してくれてるのではないかと。
両親を変えたいっていう思いは私の執着であって、それこそ重い。
執着してるって事を理解し、その執着を手放すきっかけにする帰省だったかもしれない。
つづく。。。
前回、「私は幸せな子だった!!」と気付いてから一気にどよーん↓となった1ヶ月だった。
揺り戻し。幸せを感じないように無意識作動。。。
11月上旬に実家に帰った。
幸せな子だった!!って気が付いてウキウキ気分だった。
ところがどっこい。
相変わらず両親は罵倒し合い、御多分に洩れず母からは愚痴のオンパレード・・・
はぁぁぁぁ・・・・
何も変わってねェーーーーーorz
グッタリして帰ってきた。
帰ってきて、かずの顔見た時の嬉しさ・安心感ったらなかった。
やっぱり、今の場所が私の家だ。
そんな出だしの11月。
クサクサな気持ちで身体は重く、何しても世界が曇って見えてた。
なんだ?このどんよーりした気分は?
実家での両親の罵倒合戦を目の当たりにし、怯えてるインナーチャイルドが顔出した。
喧嘩嫌だー
仲良くしてよー
ホントは幸せなんだよー
分かってよー
悲しくて悲しくて切なくて辛くて苦しくて…そしてひりひり痛い。
声にならない声を抱えた。
何故、どんよーりした気持ちになるのか考えた。
ええ。いつものようにお風呂で(笑)
確かに、私は幸せな子だ。
幸せで恵まれてたって気が付いたのに、何故その心のあったかさが持続しない?
!!!!!!!!!!!!!
私、自分が幸せを感じる事に罪悪感がある。
私だけが幸せになってはいけないって思ってる。
それだけじゃなく、私が家族を幸せにしなければならないって背負ってる。
いがみ合うのは不幸なことだ、喧嘩してては幸せになれないって思い込んでる。
!!!!!!!!!!!!!
自分の為に始めた自分見つめ・心理学だったけど、その奥の奥に「両親を変えたい」っていう支配欲が潜んでた。
衝撃。。。。。
えっ、純粋に自分の為じゃなかったの?
がーーーーーーん・・・
驚いた。
だから、どーんよりした気持ちになってたのか。
勝手に期待して、変わってないじゃんって落ち込んだのね。
そんな気持ちを教育分析でシェアした。
「なんだかクサクサしちゃってて…」とどよーんとしたまんまで話した。
師匠はまたしても私に対して驚愕のシェアをくれた。
「不安なんだね。」と。
へっ?今なんとおっしいました?
んんんんんん?
「不安?」
そっれって何?おいしいの?
私が「不安」だって?
えぇぇぇぇぇぇぇーーーーー!!!!!!!!
「不安」
たった三文字だけど、私の意識に不安って感覚は無かったものだから衝撃だった。
全然自己一致してなかった。
むしろ、抑圧してた。
師匠に貰ったヒントで、また一休さんの日々。
あー、実家に帰ったあとのどんよーりな気分は不安でもあったんだ。
そうだよな。
機能不全な家庭で育ち、常に不安で怯えてた。
根本的な生存への不安。
自己存在への不安。
お父さんとお母さんまた喧嘩してる。
また別れるって言ったらどうしよう。
お母さんに怒られる。
また叩かれる。
不安を感じたら生きていけないと思ってたから、心に麻酔をかけたんだった…
そうか…
実家へ帰った事で、この不安な私が色濃く出てきたんだな。
不安っていう感情は抑圧してたからわからなくて。
どんよーり曇ってるってなフェルトセンスでの表現だったけど、この感覚が不安の合図なんだ。
って多分、生まれて初めて「不安」という感情を意識し、向かい合った。
不安は抑圧しないと生きてこれなかった。
怖くて怖くて。
自己存在や生存を脅かすものだった。
親に縋りついてないと生きてられなかったから。
捨てられたら困るから。
不安を感じて受け入れたら、心が壊れちゃう。
そう思ってたのだろう。
それが今ここにきて自分自身の「不安」を感じ、自己一致しようとしてるってことは自分で受け止められる時期に来たって事。
やっと安全な場所辿り着いたってこと。
そして、「不安」と向き合う準備が出来たって事。
もう「不安」を認めても心は壊れないんだよ。
それらが出来る私に成長した事を嬉しく思う。
んで、何が不安なんだろう?って見つめる日々。
漠然とした不安を抱えてるとゲームしやすいし、イライラするってなことを発見。
否定されるかもしれない不安。
生きていけなくなるかもしれない不安。
嫌われるかもしれない不安。
悪い事が起きるかもしれない不安。
なじめないかもしれない不安。
失敗するかもしれない不安。
孤独になるかもしれない不安。
理解されないかもしれない不安。
バカにされるかもしれない不安。
愛されないかもしれない不安。
受け入れてもらえないかもしれない不安。
悪事が露呈するかもしれない不安。
そして、不安には恐れが付きまとってる事も発見。
いや、恐れてるから不安になるんだ。
何を?
自分の弱さ。
自分の醜さ。
自分の狡さ。
自分のいやらしさ。
自分の支配欲。
自分の冷酷さ。
自分の怠惰。
自分の傲慢さ。
自分の勝手さ。
自分の嫉妬深さ。
自分の執念。
自分は大したことない人間だって事。
これらが露呈するのではないか?という恐れを抱えてる。
ははぁ。
全て抑圧してるなぁ。
恐れや不安の感情ってネガティブなもの。
ネガティブなものって波動が重い。
だから、恐れや不安が浮上してきてるときって身体が重いんだ。
んで、どんよーりって表現になったのね。
心と身体は繋がってるから、自分の感覚で身体が重い時は恐れが強かったり、不安で震えてたりするサインなんだ。
そうやって、身体が教えてくれてるんだ。
そういう時は休もう。
そして、感じよう。
何に恐れていて、何が不安なのか?ってな事自己一致できるように向き合おう。
焦らず、ゆっくり手放して行こう。
不安に思う事は、全て「かもしれない」っていう私の思い込みだから。
そういう思い込みをしなければならなかった傷ついた過去があるから、一つずつ癒していこう。
11月は、自分の恐れ・不安と向き合うきっかけをくれた1ヶ月だった。
そして、ふと思った。
私が両親を変えたいって思ってたけど、もしかしたら、両親が私が自分の恐れや不安を手放し軽くなれるように魂レベルで応援してくれてるのではないかと。
両親を変えたいっていう思いは私の執着であって、それこそ重い。
執着してるって事を理解し、その執着を手放すきっかけにする帰省だったかもしれない。
つづく。。。
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