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思うこと。 

『私、川作って来ましたー!』って笑顔で話す子と会った。
後進国で、NPOボランティアの一員として参加してきたと。
『それはいい経験したねー』と応対したけど…

そこで、思った事がある。あくまでも、私個人の見解なんだけど。

勉強したくても出来ない外国の子供達の為に、子供達の笑顔の為にって学校を作ったりするテレビ番組があった。
それを見て、『感動するー』と涙する私がいた。
震災の時も、ボランティア行きたーいって思った私もいた。

海外で、日本人の知識と経験を、生活を便利に豊かにして貰いたいと提供する人々は大勢いるだろう。

が、しかしだ。
最近の私は、それって、頼まれたの?と思うようになった。

生活が豊かであるが故に、感謝を忘れ、それが当たり前のようになってしまってたり、知識があるが故に、競争したり、地位に拘ったりしてしまう。

学んだ者が、学びたい者を導いたり、説いたりするのではなく、頼まれても居ないのに、不便で不衛生で学べない環境にある世界は可哀想…と土地を開拓したりする。

私、思うんだけど、その民族や人種の方々って、自分達の事を可哀想だと思ってないし、こちらが不便だと決めつけてるだけで、果たして困ってるのかな?と。


自分がその場に出向いて、自分の眼で見たわけじゃくあくまでも想像だから、何とも言えないんだけど。


マザーテレサが、今からそんなに遠くない昔に、インドにボランティアにきた日本人女性に、『日本に帰りなさい。帰って、自分の家族や友人に出来る事をやりなさい』と説いたという話を知った。
確か、震災後だったと思う。
まさに、目から鱗だった。


何が云いたいかというと、自分の家族を愛し、豊かに出来ないのに、自分の国と比べて豊かではないから…と手を差し伸べる事は、真の平和に繋がらない。ということ。
ましてや、自分自身を赦し愛せない人は、誰も救えないということ。

先ずすべきことは、自分を愛すること。そして、自分の大切な人を赦し、信じ、愛すること。

そこから目をそむけて、外へ奉仕しようと思っても、それはやっぱり、メサイヤコンプレックスでしかないんじゃないかな。

私も、メサイヤコンプレックスを持っている。
誰かを可哀想な人って思う時もある。

可哀想な人がいるとすれば自分に愛して貰えない私自身かもしれない。

だから、私は自分を知り、愛することを諦めずに続けていく。
それが何よりも尊く、難しいことだって知っているから。

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